「アメリカ留学とその後の私」

木下倫子

(2001-2002年度奨学生)


″アメリカ生活の始まり" 
 2001年夏、私はロータリー国際親善留学生として、アメリカはノースキャロライナのノースキャロライナ大学チャペルヒル校 (以下UNC-CH) に留学しました。私は公衆衛生学部(Public Health)母子保健学科(Maternal and Child Health)の修士課程に在籍し、2年間の学生生活を始めました。6年ほど前、カリフォルニア、ロサンジェルスに短期滞在したことがありましたが、長期滞在はこれが始めて。今でも初めてNCの空港に夜遅くに到着したときのことを思い出します。地元のロータリークラブの会長さん夫妻が空港まで迎えに来ていてくださり、その時のほっとした気持ち、車でアパートに向かう道のり、真っ暗であまり町がよく見えず、それがかえって、明日からのアメリカ生活に胸が躍るような期待を感じていました。

 

"ロータリークラブとの絆"  
2年間の大学院生活は、ここには書ききれないほどのたくさんの思い出があります。いつもロータリアンの方のサポートがあり、食事や買い物に誘っていただいたり、ホームステイをさせていただいたり、日曜日には教会につれて行っていただいたことがよくありました。地元のクラブの方の前で何度かプレゼンテーションし、日本の文化を紹介しました。特に日本とアメリカの違いを興味深く聞いてくださり、発表の後には質問がたくさんありました。ロータリー奨学生としての1年間が終わったあとも、引き続きロータリアンの方にお世話になり、私がアメリカからアフリカに引っ越す時まで、さまざまな面で支えていただきました。そんなロータリークラブの皆さんとの交流、今でも続いています。

"アメリカの大学院って?"

 アメリカの大学院生活を一言で言うと、何でも自分次第でやりたいことができるということです。学生一人一人にアドヴァイザーといわれる教授がついていて、その先生と相談しながら自分の選択する授業を決め、1年目の終わりには各自が2ヶ月ほどのインターンシップを経験します。私はアフリカのマラウイで"Save the Children" というNGOで3ヶ月間働きました。アフリカ南部の小さな発展途上国で、新生児の健康と家族計画のプログラムで働きながら研究をしました。あの3ヶ月間は本当に濃厚で、たくさんのことを学び、経験し、アメリカに帰ってからも数ヶ月はその余韻が残っていました。

(留学の思い出:UNC-CHのシンボル"Old Well")

 そして、大学院の終わりには、マラウイで行った研究の結果をまとめた修士論文を書き上げました。一生で一番よく勉強した期間といえば、やはりこの2年間でしょう。でも勉強ばかりではなく、たくさんの多国籍の友達と、週末はチャペルヒルのダウンタウンで、1週間の勉強の疲れを癒すために、アメリカの安いビールで乾杯しました。チャペルヒルは、私の第2のふるさとといっても過言ではないと思います。


"そして今の私"

 大学院を卒業した私は、UNC-CHの疫学科(Epidemiology) に仕事を見つけ、働き始めました。

2003年10月末にはアフリカ、コンゴ民主共和国の首都、キンシャサに派遣され、3年間の予定でproject managerとして妊産婦と新生児の感染症予防と治療の研究活動を始めました。大学院で途上国の母子保健を重点的に学んだ私にとっては、今の仕事は本当に自分の学んだことを生かし、またさらに新しいことを経験するよい機会となっています。仕事はいつもフランス語で最初の3ヶ月は苦労しましたが、今は少しずつ楽になってきました。この仕事が決まった時はコンゴの治安状態について心配もありましたが、首都キンシャサは今のところ落ち着いています。

(空から見たコンゴ民主共和国 )

 とはいえ、マラリア、下痢、蕁麻疹などの熱帯地帯特有の病気には時折悩まされています。コンゴ川の美しい夕暮れの景色、キンシャサを一歩出ると濃緑の山々が広がり、飛行機で1時間ほど飛べば広大な大西洋に出ます。ダイヤモンド、石油、石炭などの自然資源の豊富なコンゴ、一方で、蔓延る感染症、貧困、多くの失業者。。。政治の安定と国の発展を願わずに入られません。

(コンゴの小学生たち)